まだまだ続く礼文島トレッキング。
視界一面に見えるのは、緑の草原。でも、なんかおかしいですね。
よく見ると、森や林がないどころか、「一本だけ立っている木」すらない。
ガイドブックを見ると、礼文島には森は、一部の場所にしかない、とのこと。
なんでも礼文島は、かつては森林にあふれる場所だったそうですが、明治期に入ってから礼文島を拠点とするアザラシ漁が盛んになり、多くの漁師が移り住んできました。その際に燃料とするために島内の木が伐採され、またその時期に合わせて山火事も頻発し、島内の多くの木々が焼失してしまいました。
その後も森林が回復することはなく、笹などが一面に生い茂る島になった、とのこと。
なので現在、見ることのできる礼文島の景色は、近代に入り人によって「作られた」姿。
もともと北極圏やシベリア、北部アメリカ、北海道を含む極東地域は、アザラシやラッコ、ビーバーが多く住む地域でした。またクロテンなども豊富に生息していました。
そしてアザラシやラッコ、ビーバー、クロテンの毛皮は、非常に良質な服飾品として人気を集めていました。
そのため近代に入ってからロシアがクロテンの毛皮を追って東進を初めてカムチャッカに至り、欧州の他の国も北部アメリカにおいて合弁会社を設立するなどしてビーバーの捕獲にあたりました。
これらの毛皮は非常に効果で、ある講演会で聞いたのですが、ラッコの毛皮は数匹分で数千万円に至り、エスキモーは5~6頭のラッコを捕獲すれば一年間を余裕をもって暮らすことができる、とのこと。
またクロテン生息地だった沿海州を根拠地としていた女真族は、クロテンを明王朝に輸入することで巨額の利益を得て、ついには明を滅ぼして自ら清王朝を打ち立てるにいたりました。
それらの毛皮が、莫大な利益につながっていたことがわかります。
北海道をはじめ、千島列島でのアザラシ漁は古くから有名で、源頼朝も蝦夷地のアザラシの毛皮を使用していたという記録があります。
そのため、近代に勃発した世界的な乱獲競争に日本も加わり、礼文島を含めた北海道や千島列島ではアザラシ漁が盛んになっていました。
礼文島の今の景色は、その時のなごり。
何気ない風景ですが、近代の国際的な毛皮獲得競争の結果を現しているとも言えます。
それはさて置き。
散策路からは、とても珍しい景色を見ることができます。
険しくもあり、雄大さもあり。なんか「ナショナル・ジオグラフィック」らしくなってきた!!
さて、通過点の一つである展望台に至りました。全行程の4分の1ほどのところにあります。
ここまでは道路も舗装されていて、アップダウンなどもなく、とても快適でした。
そしてここでもあの山が見えていますね。
そう、利尻富士。実に雄大です。晴れてよかった!!
しかし、風景に没頭できたのはここまで。
これより先、ついに礼文島が、その本性を見せた!
続く